「げ」に関係する言葉
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意味 | (1)の一種。
体長約40センチメートル。 越前一帯(富山湾)で水揚げされるものは「エチゼンガレイ(越前鰈)」と呼ぶ。 |
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意味 | (1)や首飾り(necklace)にさげる小円形の飾り。 |
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意味 | (hiskers)ほおひげ(頬髯)。
「ウィスカー」とも呼ぶ。 |
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意味 | (Mara)修行中の釈尊(シャクソン)を誘惑して成道(ジョウドウ)を妨(サマタ)げようとした魔王、バラモン教の死神の名前。
また、成道した釈尊に教法を説く転法輪(テンボウリン)の断念を図(ハカ)り、入滅(ニュウメツ)に際しても涅槃(ネハン)(覚り)の前に般涅槃(ハツネハン)(死)に入ることを勧(スス)めた。 「マーラ」とも呼ぶ。 |
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意味 | (the javelin)槍投げ競技。
「ジャベリン・スロー(javelin throw)」とも呼ぶ。 |
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意味 | ([学]Phaseolus vulgaris)マメ目(Fabales)マメ科(Fabaceae)インゲンマメ属(Phaseolus)の一年生作物。熱帯アメリカ原産。
多くはつる性草本で、つるのない矮性(ワイセイ)のものや、直立する変種(ツルナシインゲン)ものや、種子の形・色も多彩で、品種がきわめて多い。 葉は互生し広卵形の小葉3枚からなる複葉。夏に開花し、花は白色または淡紫色の蝶形花で、葉腋(ヨウエキ)から出た総状花序の上に数個つく。秋に結実し、莢(サヤ)は線形で細長く、中に10個ほどの腎臓形の種子をもつ。 未熟果のサヤや種子を食用とする。茎葉は飼料となる。 マメ類では大豆(ダイズ)・落花生(ラッカセイ)に次ぎ、インド・ブラジル・中国など世界で広く栽培されている。 「インゲン(隠元)」,「インゲンササゲ(隠元ササゲ)」,「ゴガツササゲ(五月ササゲ)」,「さんどまめ(三度豆)」,「さいとう(菜豆)」とも呼ぶ。 未熟果の柔らかいサヤのまま煮(ニ)て食べるものを「さやいんげん(莢隠元)」、サヤの丸いものを「どじょういんげん(泥鰌隠元)」、サヤの平たいものを「モロッコインゲン」と呼ぶ。熟した種子を煮豆にするものは「金時(キントキ)」など。 |
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意味 | ([英]ice needles)降雪のない冬の寒い夜、地中の水分が毛管現象で地表に染(シ)み出ながら凍結・成長し、層を成して細い柱状に並び立ったもの。
地表1~2ミリメートルの土は持ち上げられる。また、凍結が繰り返されて数層にも成る。 日本では関東ローム層の赤土に顕著。 |
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意味 | ([英]turn)組版で所要の活字がないとき、ありあわせの活字の上下をさかさまにし、活字面の反対側を向けて仮にその箇所に入れておくこと。
校正刷りでは「〓」と印刷される。 「〓」が下駄の歯に似ていることから「げた(下駄)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (はっきり目覚めないで)意識がぼんやりして、夢か現実か区別し難いこと。また、そのおぼろげな状態。 |
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意味 | (アメリカ空軍の)発展型打ち上げロケットの略称。
商業利用も考慮した、打ち上げコストの削減と確実性の向上を目指した使い捨て型のロケット。5),ゆないてっどらんちあらいあんす(ユナイテッド・ランチ・アライアンス) |
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意味 | (サッカーで)手を除いた体の部分を使って、ボールを地面に落とさないように打ち上げ続けること。 |
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意味 | (ハワイ語で)速い。急げ。 |
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意味 | (ブラシで)磨(ミガ)きをかける・仕上げる。 |
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意味 | (中国で)旧正月。
大晦日(オオミソカ)の深夜から元旦(ガンタン)の未明、春聯(chun-lian)(シュンレン)を掲(カカ)げ、邪気(ジャキ)を払うと言われる爆竹を鳴らす風習がある。 |
言葉 | (1)キャッチ・アンド・リリース | 詳しく調べる |
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意味 | (主に資源調査・保護のため)釣り上げた魚を再び水に放す釣り方。 |
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意味 | (危険・追跡などから)巧(タク)みに逃げる・かわす。 |
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意味 | (和菓子で)平ナベ・天火・鉄板などで焼いて仕上げた菓子の総称。
煎餅(センベイ)などの米菓、桃山・茶通(チャツウ)・カステラなど。 |
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言葉 | (1)ディストレスマーチャンダイズ | 詳しく調べる (2)ディストレス・マーチャンダイズ | 詳しく調べる |
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意味 | (換金のための)投げ売り商品。 |
言葉 | (1)アンニョンハシムニカ | 詳しく調べる |
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意味 | (朝鮮語による)出会いの挨拶語(こんにちは・ごきげんいかが)。
一日中、使用できる言葉で英語の「ハワユー(How are you?)」に相当する。 |
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意味 | (植物の)とげ(棘)・刺毛。 |
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意味 | (特に)好きな男性と夫婦になれるなら、どんな貧しさもいとわないこと。
主に「手鍋下げても」の形で用いられる。 |
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意味 | (特に)最後に苦し紛れの悪あがきして逃げ出すこと。
単に「最後っ屁」,「最後屁」とも呼ぶ。 |
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意味 | (特に)薄く切ったトウフ(豆腐)の水をきり、油で揚げた食品。
「あぶらげ(油揚げ,油揚)」,「あげどうふ(揚げ豆腐,揚豆腐)」とも、単に「あげ(揚げ,揚)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (積み上げ柱身 |
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意味 | (羽毛状に吹き上げる)噴煙・キノコ雲・水煙・水柱。 |
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意味 | (聖母マリアにささげられた)カトリック聖堂。聖母会堂。 |
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意味 | (英語で)どっこいしょ。
主に赤ん坊を持ち上げるときに使われる。 |
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意味 | (製図やマンガなどで)鉛筆などで書かれた図面を墨または製図用インクでなぞって仕上げること。 |
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意味 | (転じて)すねる・ふくれる・投げやりになる・自暴自棄になる。 |
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意味 | (転じて)人心を惑わし、修行の妨げとなるもの。 |
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意味 | (転じて)末とげられない恋などのたとえ。 |
言葉 | (1)三十六計逃げるに如かず | 詳しく調べる |
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意味 | (転じて)面倒(メンドウ)な事が起りそうになったら、余計な事をせずに逃げるのが一番の得策である。 |
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意味 | (転じて)頭に血が逆上する小児の病気。かん(疳,癇)。
「ちりげ」とも呼ぶ。 |
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意味 | (頭を下げたり体を曲げたりする)丁重なお辞儀(ジギ)。 |
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意味 | 10の倍数にそろえるための端数(ハスウ)計算法。
1~6は切り捨てて0に、7~9は切り上げて上の位に1を加える。にゅう(二捨三入) |
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意味 | 1524~1525(大永 4~大永 5)ルターの宗教改革運動を背景に、ドイツ中部・南部に起きた農民反乱。
貨幣経済の発達にともない生産者である農民の地位が向上。一方、封建領主は経済的な危機として農民に貢租増大を図った。 南西ドイツのシュバーベン(Schwaben)地方の農民は富農層の指導を受け、貢租軽減・農奴制廃止など12ヶ条の要求を掲げて蜂起(ホウキ)。反乱はライン沿岸地方にも拡大し、チューリンゲン(Thueringen)のミュールハウゼン(Muehlhausen)地方では宗教改革者ミュンツァー(Thomas Muenzer)の率いる貧農一揆に発展した。 しかし、ルターの支持を得た領主連合に鎮圧された。 単に「農民戦争(Bauernkrieg)」とも呼ぶ。 |
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意味 | 16世紀、マゼラン(Ferdinand Magellan)の探検隊が人類初の世界周航を成し遂げた帆船。全長25.9メートル。
1519. 9.(永正16)5隻の船がセビリア(Sevilla)を出港。 1520(永正17)マゼラン海峡(Strait of Magellan)を発見し通過して太平洋に出る。 1521(永正18)フィリピン諸島のマクタン島(Mactan Island)で原住民と戦いマゼランらが死亡。 1522. 9.(大永 2)生き残った部下が帰国。 |
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意味 | 17世紀に西欧諸国が東洋貿易のためにインドに設立した特許会社。
1600年、イギリス東インド会社設立(~1858)。インド領を英国王に献上して会社を解散。 1602年、オランダ東インド会社(VOC)設立。ナポレオン戦争により、1799年解散。 1604年、フランス東インド会社設立。1664年、東インド会社を再建。18世紀中頃、インドにおけるイギリスとの交戦に敗れたので会社を解散。 1614(慶長19)オランダ東インド会社、アメリカのマンハッタン島をインディアンから24ドルで買い上げる。 |
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意味 | 1821年にスペインから成し遂げられた独立 |
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意味 | 1841. 5.(天保12)中国南東部の広東省(Guangdong Sheng)広州(Guangzhou)北西方でイギリス軍を襲撃した民衆の一団。
1840(天保11)<道光20>アヘン戦争でイギリス軍が広東省を占領。 イギリス軍の略奪や暴行に憤激した三元里(Sanyuanli)の村民は決起。百以上の村民が加わり平英団の旗を掲げてイギリス軍の一部を包囲。広州知事の調停で解放した。 |
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意味 | 1869(明治 2.10.)富山県東部、新川郡(ニイカワグン)一帯で発生した農民一揆(イッキ)。
租税の軽減・物価の引下げ・公選による村役人の任命などを要求した世直し一揆で、貧農らが役場や豪農を襲った。 |
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意味 | 1878. 3.23(明治11)近衛砲兵第1大隊の兵士260余名がおこした反乱事件。
西南戦争の恩賞が下士・兵卒になく減給まであったが、その不公平を訴えても将校が取り上げず、竹橋兵営の兵士は三添卯之助・小島万助らに指導され、大隊長・週番士官を殺害して蜂起(ホウキ)。大砲を引き出し、参議大隈重信の屋敷に発砲。直ちに鎮圧されて死刑53名・准流刑118名。 事件後、軍人に対し陸軍卿山県有朋の名で軍人訓誡(クンカイ)が発布され、「軍人勅諭(チョクユ)」の先駆となる。 「竹橋騒動」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1885年に結成された一種の政治団体・政党。現代インドの保守政党。
イギリスが反英独立運動をやわらげる目的でボンベイに創設されたもの。毎年各州を巡り大会を開いて施政改善を論じた。メンバーは民族資本家と知識階級であったため、初期にはイギリスに協調的であったが、イギリスの帝国主義的政策が露骨になるにつれて民族意識に目覚めて反英的色彩を強めた。イギリスは行政にインド人の参加を認めるなどの緩和策をとったが、1906年、ベンガル分割条例に反対するカルカッタ大会ではスワラジ(Swaraj)(自治)・スワデシ(Swadeshi)(国産)の方針が決定された。 第一次世界大戦後にガンジーの指導により大衆的な対英非協力・不服従運動を展開し、イギリスは弾圧を強め指導者を捕らえ円卓会議を開いたが成果を得られなかった。1929年の第44回ラホール大会ではプールナ・スワラジ(Purna Swaraj)(完全独立)が運動の目標として決議された。このころからネールやボースらが指導、民族独立運動の中心組織として反帝・反封建運動を展開。しかし会議派とイスラム教徒との内部対立も激化した。 1947年インド独立後、政権を掌握。しかし、地主・ブルジョア政権として与党化し、ネールの死後は左右両派の分裂が目立ち、1969年内部分裂を起した。1971年の総選挙の結果、インデラ・ガンジー首相の左派が強まったが、1977年3月の総選挙にはモラルジ・デザイ(Morarji Desai)の率いるジャナタ(人民)党(Janata Party)に大差で敗れ、独立以来30年間保持してきた政権を野党連合ジャナタ党・民主国民会議派に譲り渡した。1980年以来再び政権を握る。 単に「国民会議派」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1886(明治19)市谷河田町(カワダチョウ)に開校。
太平洋戦争中は北多摩郡小平町の地を強制的に買い上げて移転。 |
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意味 | 1919. 3. 1(大正 8)から約3ヶ月続いた、朝鮮民族の日本支配に反抗する独立運動。
1919. 1.(大正 8)李太王が日本人医師に毒殺されたという風説がひろまり、葬儀の前日3月1日京城(ソウル)市パコダ公園に集まった数千人の群衆・学生が、「独立宣言」を読み上げ、朝鮮独立万歳を叫んだ。「独立宣言」は崔南善(Choe Nam-seon)が起草し孫秉煕(Son Byong-hi)(ソ・ビョンヒ)(ソン・ヘイキ)ら33人の宗教家が、朝鮮の独立を世界の世論に訴えたもので、パリ講和会議に請願したが取り上げられなかった。33人は民衆の前には姿を見せず、総督府警務局に自首する。 運動は次第に全国に波及し、参加者は200万人に達し、5月ころまでに日本官憲に鎮圧された。 この間4月、上海に大韓民国臨時政府が樹立され、李承晩(I Sungman)(イ・スンマン)(リ・ショウバン)が国務総理となる(間もなく派閥抗争で失脚)。 朝鮮総督の 4.24の報告では、死者は憲兵3人・警官2人、憲兵と警官の負傷者49人、一般内地人の死者1人・負傷者18人という比較的おだやかな運動であった。しかし、シベリアや満州の朝鮮人はロシア革命の影響を受け、武装闘争に向っていた。 日本の朝鮮支配は武断的政策から文治政策に転換され、第2代朝鮮総督の長谷川好道(ヨシミチ)は辞任し、8月元海軍大臣斎藤実(マコト)が任命され、「文化政治」をとなえ総督に文官が就任できるように改革したが文官が就任することはなかった。 「万歳事件」とも呼ぶ。 |
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