「ヌ」に関係する言葉
「ヌ」に関係する言葉の一覧を表示しています。 検索結果が多い場合は文字数で絞ることが可能です。1件目から30件目を表示 | 次の30件 > |
言葉 | |
---|---|
意味 | (Beaujolais nouveau)ボジョレーヌーボーの略。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | (Pepe le Moko)1937(昭和12)フランス映画。
当時フランスの植民地であったアフリカ北西部の都市アルジェの貧民街カスバ(quasbah)を舞台とする。 監督:ジュリアン・デュビビエ(Julien Duvivier)。 出演:ジャン・ギャバン(Jean Gabin)、ミレイユ・バラン(Mireille Balin)、リーヌ・ノロ(Line Noro)ら。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | (アイヌの住む)部落・村。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | (アイヌ語で)クモ(蜘蛛)。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | (アイヌ語で)歌。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | (アラビア語で)イヌ(犬)。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | (カヌーで)川下りで流れを横切ること。その技術。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | (トルコ語で)イヌ(犬)。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | (フランス語で)新しい。
「ヌフ」とも呼ぶ。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | (ベトナム語で)イヌ(犬)。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | (ルイ七世)フランス王。在位:1137~1180。
妃はアリエノール・ダキテーヌ(Alienor d’Aquitaine)で、王の死後のイングランド王ヘンリー二世(Henry II)に嫁している。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | (北海道で)アイヌ民族に対しての大和民族。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | (朝鮮語・韓国語で)イヌ(gae)の子供(saekki)・子犬。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | (特に)神とともに食べること。神に供えた食物・酒を皆で食べ飲み合うこと。
同じ火で煮炊きした同じ食物を食べ合うことで、神と人々、また同じ神を祭った者同士との連帯を強め合おうとするもの。 日本の直会(ナオライ)や、アイヌ民族のイヨマンテなどがこれに相当する。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | (英語で)イワダヌキ(岩狸)([英]hyrax)。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | (転じて)急に金持になること。また、その人。
フランス語では「ヌーボリーシュ(nouveau riche)」。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | 1164. 8.12(長寛 2)シリアのハラーム(Haram)で行われた、第二回十字軍とヌール・ウッディーン(Nur ad-Din Zangi)の戦い。
1158(保元 3)十字軍がハリムを奪取。 1164(長寛 2)ヌール・ウッディーンがハリムを奪回。 |
姉妹サイト紹介
言葉 | |
---|---|
意味 | 1457年蝦夷地のアイヌ人の蜂起(ホウキ)。
北海道東部に勢力をふるっていたアイヌの首長コシャマインが、渡島半島の南部を征服していた安東氏と対立し、1456(康正 2)反乱を起こし、多くの和人の館を攻め落とす。 翌年、蛎崎(カキザキ)氏の客将武田信広が平定。信広は功により蛎崎氏の家督を受け継ぐ。 「コシャマインの乱(胡奢魔尹の乱)」とも呼ぶ。牟奢允の戦い) |
言葉 | (2)シャクシャインの戦い | 詳しく調べる |
---|---|
意味 | 1669(寛文 9)蝦夷地(エゾチ)(現:北海道)のアイヌ人が、交易独占を強化する松前藩の支配と収奪に抵抗して起した蜂起(ホウキ)。
東蝦夷地に拠点を持つアイヌ人首長シャクシャインが、東西両蝦夷地のアイヌ人に反和人・反松前藩の檄(ゲキ)をとばし、東は白糠(シラヌカ)から西は増毛(マシケ)までアイヌ人が一斉(イッセイ)に蜂起。蝦夷各地で商船などを襲い、商船の船頭や鷹待(タカマチ)(鷹匠)など日本人(和人)約390を殺害。 徳川幕府は松前氏の一族松前泰広(旗本)や津軽弘前藩に出兵を命じた。 アイヌ側は松前藩への襲撃も企てたが、国縫(クンヌイ)で防ぎ止められた。同年十月になって松前藩の和睦(ワボク)を装う奸計(カンケイ)にあってシャクシャインは殺害。1671(寛文11)までに蜂起は完全に鎮圧(チンアツ)された。 「シャクシャインの乱(沙牟奢允の乱)」とも呼ぶ。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | 17世紀のモリノス(M.de Molinos)らが唱えた神秘説。
1687(貞享 4)ローマ教皇により異端とされる。 「クィエティスム」,「静寂主義」とも呼ぶ。人),ふぇぬろん(フェヌロン) |
言葉 | |
---|---|
意味 | 1903(明治36)第5回勧業博覧会の際に見世物小屋で琉球人・北海道アイヌ人・台湾高山族・朝鮮人・ジャワ人・インドキリン族・トルコ人・アフリカ人・ハワイ人の実際の人が展示された事件。
沖縄の遊郭で働いていた女性ジュリ(遊女)2人が、沖縄物産展の案内役として大阪に連れてこられ、実際には「琉球の貴婦人」と銘打たれて陳列。 在阪の沖縄の人や朝鮮・中国の留学生の間から抗議の声が上がった。 |
言葉 | (1)イタリア・トルコ戦争 | 詳しく調べる |
---|---|
意味 | 1911(明治44)イタリアとトルコの間におきた戦争。
翌年ローザンヌ条約で、イタリアはトリポリタニア・キレナイカを領有。 「伊土戦争(イトセンソウ,イドセンソウ)」とも呼ぶ。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | 1931(昭和 6)製作のドイツ映画。
監督:レオンティーネ・ザガン(Leontine Sagan)。 出演:ドロテア・ヴィーク(Dorothea Wieck)(フォン・ベルンブルク先生役)、ヘルタ・ティーレ(Hertha Thiele)(マヌエラ役)。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | 1944. 6.10(昭和19)フランス西部、オラドゥール・シュル・グラヌ村で発生したナチス親衛隊による村民642人が殺害された事件。
ナチス親衛隊がレジスタンス運動の拠点とみなし、婦女子を含む村民を殺害し、家屋に火を放つ。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | 1992. 2.(平成 4)五味彬(ゴミ・アキラ)が発行した、CD-ROMによる日本女性のヌード写真集。
約800点のカラー写真が入っていた。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | 19世紀中ころのフランス風景画家の集団。
パリ南東方のフォンテーヌブロー(Fontainebleau)の森近くの村バルビゾン(Barbizon)を中心に住み、風景画を制作。 コロー(Corot)、ドービニー(Daubigny)、ミレー(Millet)、テオドール・ルソー(Theodore Rousseau)など。 「フォンテーヌブロー派(Ecole de Fontainebleau)」,「フォンテンブロー派」,「1830年派(Ecole de 1830)」とも呼ぶ。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | 2004(平成16)ウクライナで発生した民主化運動・政変。
クチマ(Leonid Danylovych Kuchma)大統領は任期満了による引退にあたり、ヤヌコビッチ(Viktor Fedorovych Yanukovych)首相を後継者として指名。 2004.10.31(平成16)大統領選挙が実施され、親欧米派の野党候補のユーシェンコ(Viktor Andriyovich Yushchenko)元首相が僅差で首位となる。 2004.11.22(平成16)大統領選挙の決選投票を実施。 決選投票の不正疑惑から、首都キエフを拠点にオレンジ色の旗を掲げた若者ら数10万人が集まる抗議行動に発展し、政府に圧力をかけた。 最高裁判所が決選投票のやり直しを決定。 再投票の結果、与党候補ヤヌコビッチが惨敗し、ユーシェンコは圧勝し、政権は交代した。 |
姉妹サイト紹介
言葉 | |
---|---|
意味 | 2世紀にハドリアヌスによって造られた古代のローマの壁 |
言葉 | |
---|---|
意味 | BC. 27、元老院からオクタウィアヌス(Caius Julius Caesar Octavianus)が受けた尊号。
「アウグスツス」とも呼ぶ。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | BC. 111~BC. 108、北アフリカのヌミディア王(King of Numidia)ユグルタと古代ローマとの戦争。
メテルス(Quintus Metellus)・マリウス(Gaius Marius)・スラ(Lucius Cornelius Sulla)らが進攻し、ユグルタを捕らえる。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | DNAのヌクレオシド成分 |
言葉 | |
---|---|
意味 | 『古事記』にみえる出雲神話の一話。また、その話に登場するウサギ。
ウサギが淤岐島(オキノシマ)から因幡に渡ろうとして、ワニ(鰐鮫)を騙(ダマ)して海上に並ばせ、その背中を跳(ト)んで渡っていたがうっかり騙していることを口にして、ワニに皮を剥(ハ)ぎとられる。 オオクニヌシノミコト(大国主命)の兄弟のヤソガミ(八十神)の教えで海水を浴びるとかえって痛み、そこに妻問い(求婚)に行く途上のオオクニヌシノミコトが通りかがり、真水で洗ってガマ(蒲)の穂(ホ)を敷いて寝ると直ると教えられ、ウサギは妻問いが成功すると予言する。国主命) |
言葉 | |
---|---|
意味 | すべての細胞の生命の不可欠な構成要素であるヌクレオチドチェーンでなる様々な高分子のどれか |
言葉 | |
---|---|
意味 | その官庁街で知られているセーヌ川の南の岸に沿ったパリの街路 |
言葉 | |
---|---|
意味 | もと南フランスのサボア([フ]Savoie)地方の名家、のちイタリアの王家(1861~1946)。
11世紀初め、始祖( 970~1056)が神聖ローマ皇帝からサボイア伯ウンベルト一世(Umbrto I)に任ぜられる。 ドイツ王の保護下に発展し北イタリアのピエモンテ・ニースに進出。 1416(応永23)アメデオ八世が初めてサボイア公を称する。 18世紀にスペイン継承戦争に乗じてフランスへの従属から独立し、1713(正徳 3)ユトレヒト条約でミラノ・シチリア島を獲得。 1720(享保 5)ビットリオ・アメデオ二世(Vittorio Amadeo II)、オーストリアとシチリア島・サルジニア島を交換して、王号を公認されサルジニア王を称してサルジニア王国を樹立。 19世紀にイタリア統一運動(リソルジメント)の中核となり、1861(文久元)イタリア統一とともにビットリオ・エマヌエレ二世(Vittorio Emanuele II)が王位に就(ツ)く。 第二次世界大戦後、ムッソリーニの台頭とファシズム体制の構築を許したとして国民の支持を失い、ビットリオ・エマヌエレ三世(Vittorio Emanuele III)が退位。1946(昭和21)国民投票の結果、王室を廃止し共和制が成立。最後の国王ウンベルト二世(Umbrto II)とその妻マリアジョゼ、その子ビットリオ・エマヌエレ(Vittorio Emanuele)ら王家一族は国外追放となる。 2002.10.(平成14)王族の入国を禁止していた憲法を改正。 2002.12.23(平成14)ビットリオ・エマヌエレ、亡命先のジュネーブから家族とともに一時帰国。 「サボイ家」とも呼ぶ。〈歴代〉年号は在位。 エマヌエレ:1553~1580。 カルロ・エマヌエレ一世(Carlo Emanuele I):1580~1630。 ビットリオ・アメデオ一世(Vittorio Amedeo I):1630~1637。 カルロ・エマヌエレ二世(Carlo Emanuele II):1637~1675。 ビットリオ・アメデオ二世(Vittorio Amedeo II):1675~1730。 カルロ・エマヌエレ三世(Carlo Emanuele III):1730~1773。 ビットリオ・アメデオ三世(Vittorio Amedeo III):1773~1796。 カルロ・エマヌエレ四世(Carlo Emanuele IV):1796~1802。 ビットリオ・エマヌエレ一世(Vittorio Emanuele I):1802~1821。 カルロ・フェリーチェ:1821~1831。 カルロ・アルベルト:1831~1849。 ビットリオ・エマヌエレ二世(Vittorio Emanuele II):1849~1878。 ウンベルト一世(Umberto I):1878~1900。 ビットリオ・エマヌエレ三世(Vittorio Emanuele III):1900~1946. 5. 9。 ウンベルト二世(Umberto II):1946. 5. 9~1946。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | アイヌのオタス部落に1930. 7.(昭和 5)建てられた教育所。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | アイヌの権利回復などを基本理念とする政治団体。〈党代表〉
萱野志朗:アイヌ民族初の萱野茂(1926. 6.15~2006.12. 6)元参院議員の次男。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | アイヌ人の旧称・蔑称。
日本人に同化したとして呼ばれ、単に「土人」とも呼ばれる。 江戸時代、蝦夷地を領地としていた松前藩はアイヌの日本語使用を禁止していた。1798(寛政10)幕府は蝦夷地を直轄地とするためアイヌ民族に日本語を教え同化させる命令書を出した。 明治政府の北海道開拓使も同化路線を踏襲し、アイヌ文化や歴史を無視し、建前として日本にはアイヌ人は存在しないことにしていた。 アイヌ人を「土人」と呼ぶのに対し、和人に「日本人」を使用せず「内地人」と呼んだ。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | アイヌ民族に口承されてきた叙事詩の一つ。棒で炉のふちをたたいて拍子をとりながら節(フシ)をつけて語られる。
広義には自然神(カムイ)や英雄が語った来歴・武勇譚などの長編物語。 狭義には、孤児として育った少年ポイヤウンペ(小本州人)の生い立ち・戦闘・恋愛の物語で、両親の仇討(アダウチ)や許嫁(イイナヅケ)の奪還のため敵と闘う話などが語られる。六段物・八段物・十段物などがある。 樺太(カラフト)アイヌでは「ハウキ」と呼び、「ユーカラ」は歌謡一般をさす。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | アイヌ民族の伝統的な家。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | アイルランドのダヌーに当たる |
言葉 | |
---|---|
意味 | アカザ目(Centrospermae)ヒユ科(Amaranthaceae)ケイトウ属(Celosia)の一年草。インド原産の帰化植物。
「イヌゲイトウ(犬鶏頭)」,「崑崙草(コンロンソウ)」とも呼ぶ。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | アジア大陸の東方、フィリピン諸島から成る共和国(the Re-public of the Philippines)。
首都はマニラ(Manila)。 「フィリッピン」,「フイリッピン」とも呼ぶ。〈面積〉 29万9,404平方キロメートル。〈人口〉 1977(昭和52)4,503万人。 1988(昭和63)5,872万人。 1995(平成 7)6,861万人。 2001(平成 9)8,284万1,518人(推計)。〈歴代大統領〉 エミリオ・アギナルド(Emilio Aguinaldo y Famy)(1869~1964):1897.11. 1~1901. 4. 1。 マヌエル・ルイス・ケソン(Manuel Luis Quezon Antonio y Molina)(1878~1944):1935.11.15~1944. 8. 1。 ホセ・パシアノ・ラウレル(Jose Paciano Laurel y Garcia)(1891~1959):1943.10.14~1945. 8.17。 マヌエル・ロハス(Manuel Roxas y Acuna)(1892~1948):1946. 5.28~1948. 4.15。 エルピディオ・キリノ(Elpidio Quirino y Rivera)(1890~1956):1948. 4.16~1953.12.30。 ラモン・マグサイサイ(Ramon Magsaysay y del Fierro)(1907. 8.31~1957. 3.17):1953.12.30~1957. 3.17。 カルロス・ガルシア(Carlos Polestico Garcia)(1896~1971):1957. 3.17~1961.12.30。 ディオスダド・マカパガル(Diosdado Pangan Macapagal)(1910~1997):1961.12.30~1965.12.30。 フェルディナンド・マルコス(Ferdinand Emmanuel Edralin Marcos)(1917~1989):1965.12.30~1986. 2.25。 コラソン・アキノ(Maria Corazon Cojuangco Aquino)(1933~):1986. 2.25~1992. 6.30。 フィデル・ラモス(Fidel Valdez Ramos)(1928~):1992. 6.30~1998. 6.30。 ジョセフ・エストラダ(Joseph Marcelo Ejercito Estrada)(1937~):1998. 6.30~2001. 1.20。 グロリア・マカパガル・アロヨ(Gloria Macapagal Arroyo)(1947~):2001. 1.20~。 |
言葉 | |
---|---|
意味 | アデノシンの脱アミノ化によって形成されるヌクレオシド |
1件目から30件目を表示 | 次の30件 > |