「明」に関係する言葉

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(1)スペードの女王 | 詳しく調べる

意味(1)を原作とするチャイコフスキーの歌劇。
1890(明治23)初演。

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(1)チェルシー | 詳しく調べる

意味(CHELSEA)明治製菓製の箱入りアメ(飴)。

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(1)INS | 詳しく調べる

意味(International News Service)アメリカ合衆国の国際通信社の略称。
1909(明治42)創立。
1958(昭和33)UPに吸収合併され、新会社UPIとなる。

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(1)ロコモーション | 詳しく調べる

意味(Locomotion)1825. 9.27(文政 8)イギリスの発明家ジョージ・スチーブンソン(George Stephenson)が世界最初の公共鉄道を走行させた蒸気機関車(SL)。

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(1)コルト | 詳しく調べる

意味(Samuel Colt)アメリカの銃器製造者・発明家(1814. 7.19~1862. 1.10)。コネチカット州ハートフォード(Hartford)生れ。
1829(文政12)家出してインドに向かう途中、木製の回転式拳銃(リボルバー)の雛形を作成。
1835(天保 6)撃鉄を起こすと回転弾倉が連動するシングルアクションの回転式拳銃の特許をイギリス・フランスで取得。
翌1836(天保 7)アメリカでも特許を取得し、銃器製造所(Pat-ent Arms Manufacturing Co.)をニュージャージー州パターソン(Paterson)に設立。
1842(天保13)宣伝不足とセミノール戦争(Seminole War)の終結で銃器製造所を閉鎖。
メキシコ戦争(Mexican War)が始まると、1847(弘化 4)陸軍からコルト拳銃1千丁注文を受け、E.ホイットニー(Eli Whit-ney)の工場で製造。
1843(天保14)電気式起爆水雷を考案、ニューヨーク市で世界初の水底電線の実験に成功。
1855(安政 2)ハートフォードにコルト社(Colt Industries)を創建。

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(1)仏朗機 | 詳しく調べる

(2)仏狼機 | 詳しく調べる

意味([中]folangji)中国明朝時代の南欧系ポルトガル人・スペイン人の呼称。
「南蛮人(ナンバンジン)」とも呼ぶ。

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(1)西遊記 | 詳しく調べる

意味([中]Xiyouji)中国、明代の口語体(白話)の長編小説。四大奇書(シダイキショ)の一つ。
唐僧の玄奘(Xuanzang)(ゲンジョウ)三蔵法師(Sancang Fashi)(サンゾウホウシ)に、孫悟空(ソン・ゴクウ)・猪八戒(チョ・ハッカイ)・沙悟浄(サ・ゴジョウ)が取経の旅に随伴して活躍する話。

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(1)伏せ字 | 詳しく調べる

意味([英]omission)印刷物で、明記をはばかる字の箇所に「空白」または「○(まる)」・「×(ばつ)」などの記号を字の数だけ入れて表すこと。また、その記号。
検閲(ケンエツ)の対応策などとして行われる。

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(1)墨守 | 詳しく調べる

意味(『戦国策(Zhanguoce)』斉<セイ>)中国の戦国時代、墨子(Mozi)(ボクシ)が宋(Song)(ソウ)に仕官していたとき、楚(Chu)(ソ)からよく城を守った故事。
魯(Lu)(ロ)の公輸盤(Gongshu Pan)(コウシュ・バン)が発明した新兵器の雲梯(yunti)(ウンテイ)を用いて楚が攻めてくるのを、墨子は机上(キジョウ)で9回模擬戦を行い、いづれも撃退に成功したという。
「墨テキの守(マモ)り」とも呼ぶ。

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(1)ファジュル | 詳しく調べる

意味(アラビア語で)夜明け。

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(1)アスタ・マニャーナ | 詳しく調べる

意味(スペイン語で)また明日・近いうちにまた。
主に、ちょっとした別れの挨拶(アイサツ)。

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(1)アーベントシュテルン | 詳しく調べる

意味(ドイツ語で)宵の明星。

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(1)春節 | 詳しく調べる

意味(中国で)旧正月。
大晦日(オオミソカ)の深夜から元旦(ガンタン)の未明、春聯(chun-lian)(シュンレン)を掲(カカ)げ、邪気(ジャキ)を払うと言われる爆竹を鳴らす風習がある。

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(1)クリスピー | 詳しく調べる

意味(態度・文章などが)きびきびした、明快な。

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(1)パイラ | 詳しく調べる

意味(明治時代に)パイロット(pilot)(水先案内人)。

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(1)河原者 | 詳しく調べる

意味(江戸時代から明治時代にかけて)歌舞伎(カブキ)役者・旅芸人・芝居(シバイ)関係者・芸能人などの蔑称(ベッショウ)。
江戸初期、歌舞伎が京都の四条河原で興行したことから、芝居小屋が河原を離れてからも卑(イヤ)しめて呼んだもの。
「河原乞食」とも呼ぶ。

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(1)三陸沖地震 | 詳しく調べる

意味(特に)1896. 6.15(明治29)三陸沖の北緯39.6°・東経144.2°を震源とする、推定マグニチュード7.6の大地震。
死者2万7,122人、全半壊流失家屋8,891戸、船の被害7,032隻。
岩手県綾里湾(リョウリワン)に21.9メートルの津波が襲来(シュウライ)。津波はハワイ・カリフォルニアでも観測。
「明治三陸地震」とも呼ぶ。

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(1)御影堂 | 詳しく調べる

意味(特に)京都府京都市下京区の浄土真宗大谷派(オオタニハ)東本願寺にある、宗祖親鸞聖人(シンラン・ショウニン)の座像を安置(アンチ)する堂。
1895(明治28)竣工の木造建築で、南北約76メートル、東西約58メートル、高さ約38メートル。

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(1)犬が西向きゃ尾は東 | 詳しく調べる

意味(誰が考えても)分かり切ったこと。自明なこと。当然なこと。疑う余地がないこと。

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(1)曙光 | 詳しく調べる

意味(転じて)暗い状況の中、わずかに見えはじめた明るい兆(キザ)し・希望。

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(1)げす | 詳しく調べる

意味(近世語)「ございます」の短縮形。
江戸末期~明治初期、芸人・職人や遊郭の通人ぶった者たちが用いた。

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(1)瓦刺 | 詳しく調べる

(2)オイラート | 詳しく調べる

意味12世紀以後、史上に現れた西モンゴルの部族。
はじめチンギス汗に降ったが、元朝が衰えると外モンゴル西部や天山北路を領有し、東モンゴルのタタール(韃靼<ダッタン>)と争った。
15世紀初頭、トゴン(Toghon Tayisi)が出て漠北(バクホク)を統一。タタールとともに明の永楽帝(成祖)の北征を受ける(1407~1424)。15世紀の中頃、トゴンの子エセン・ハン(Esen Khan)(也先汗)のとき全盛を極め、明に侵入し1449年正統帝(英宗)を捕え(土木の変)、翌年明と講和し正統帝を送還。エセン・ハンは大可汗(ダイカカン)と号したが、内訌のため1454年部下に殺されて衰退、タタールの勢いが盛んになった。
清代のジュンガルはその後裔(コウエイ)で、乾隆帝(高宗)に征服される。
「瓦刺(ウエラ)」,「瓦刺(ワアラア)」,「衛拉特」,「斡亦喇(立心偏+「易」)(オイラート)」,「額魯」とも呼ぶ。木の変),だったん(韃靼)

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(1)吉野朝時代 | 詳しく調べる

意味1336(<南>延元元,<北>建武 3)後醍醐(ゴダイゴ)天皇が吉野(奈良県)に朝廷を移してから、1392(<南>元中 9,<北>明徳 3)後亀山(ゴカメヤマ)天皇が神器を後小松天皇に伝えた57年間。
「南北朝時代」,「吉野時代」とも呼ぶ。

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(1)応仁の乱 | 詳しく調べる

意味1467(応仁元)に起こり、1477(文明 9)に一応の決着をみる。八代将軍足利義政の弟義視(ヨシミ)と実子義尚(ヨシヒサ)の相続争いと、管領畠山・斯波両氏の家督争いを契機に、東軍細川勝元と西軍山名宗全(ソウゼン)(持豊)の二大勢力がそれぞれ諸大名を引き入れて京都を中心に激突した大乱。
出家していた弟義尋は、兄義政に嗣子がないため、1464(寛正 5)還俗して義視と改名、継嗣となる。しかし翌年、義政と妻富子との間に実子義尚が生れる。富子は義尚を継嗣にしようと宗全を頼り、勝元は義視を擁立して、応仁の乱が起こる。義視はのち西軍山名氏に走る。義尚は1473(文明 5)九代将軍を継ぐ。
京都が戦乱の巷(チマタ)となり幕府権力は失墜、荘園制は崩壊、在地武士勢力が台頭する。以後、群雄割拠の戦国時代となる。
「応仁・文明の乱」ともいう。

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(1)山城の国一揆 | 詳しく調べる

意味1485(文明17.12.)山城国南部に起った国人(コクジン)・土民(農民)ほ中心とする一揆。
1493(明応 2)内訌(ナイコウ)(内部対立)で瓦解(ガカイ)。

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(1)トルデシーリャス条約 | 詳しく調べる

意味1494. 6. 7(明応 3)イスパニア(スペイン)のトルデシーリャスで結ばれた、イスパニアの女王イサベラ(Isabela)とポルトガルの国王ジョアン二世(Joao II)の間で取り決められた海外領土の分割条約。
1493(明応 2)教皇アレクサンデル六世(Alexander VI)の定めた教皇境界線(Inter caetera)を西方に移動し、ベルデ岬諸島から100レグア(leagues)の東方をポルトガル領、西方をスペイン領としたもの。
「トルデシラス条約」とも呼ぶ。

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(1)山崎の戦い | 詳しく調べる

意味1582(天正10. 6.13)京都西南の山崎における羽柴(豊臣)秀吉と明智光秀(アケチ・ミツヒデ)の合戦。
秀吉は本能寺の変( 6. 2)を知って急ぎ毛利輝元と和睦して備中高松城から兵を返した。光秀は山城国乙訓大山崎村(現:乙訓郡大山崎町)で迎え討って秀吉に敗れ、近江の坂本城へ敗走する途中、山科の小栗栖(オグルス)(現:京都市伏見区)で土民に殺された。

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(1)也先汗 | 詳しく調べる

(2)エセン・ハン | 詳しく調べる

意味15世紀中頃(明代)の西モンゴルのオイラート部族長(?~1454)。
父トゴン(Toghon Tayisi)の跡を継ぎ、元の子孫トクダ・ブハ(Toghto Bukha)を擁して、中央アジアから朝鮮に接する大版図(ダイハント)を築く。南下して明に侵入し、1449年土木堡(Tumu-bao)(河北省)で明軍を破り正統帝(Zhengtong Di)(英宗)を捕え(土木の変)、有利な講和を結ぼうとしたが、弟の景泰帝(Jing-tai Di)(景宗)が即位し于謙(Yu Qian)が北京城を死守したため、翌年正統帝を送還。
1451年トクダ・ブハを殺して大元天聖大可汗(Dayuan Tian-sheng Dakehan)と号した。
のち内訌(ナイコウ)のため部下に殺された。
「エセン(也先)」,「エセンタイジ(Esen Taiji)(也先台吉)」とも呼ぶ。変)

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(1)明暦の大火 | 詳しく調べる

意味1657(明暦 3. 1.18~20)江戸市街の約6割を焼き尽した大火事。
火元は本郷丸山町の本妙寺で、施餓鬼(セガキ)に焼いた振袖(フリソデ)が空中に舞い上がり本堂に燃え移ったためといわれる。
江戸町奉行石谷貞清(イシガヤ・サダキヨ)、伝馬町牢屋敷の囚人を解き放つ。
江戸城本丸なども焼失し西丸が残るのみであり、大名屋敷も多くが焼失した。
大雪も襲来して餓死する者も多く、死者は10万余人で、本所に回向院(エコウイン)を建てて無縁仏の霊を祀る。
幕府は市街の復興に際し、「寛永の町割り」と呼ばれた配置を廃し、大名屋敷や寺社を郊外に移し市街地を本所・深川に拡大、火除明地(ヒヨケアキチ)を設けて道幅を広げ家屋の規模を定め、大橋(両国橋)を設けるなどの防災措置(ソチ)をとった。
1658(万治元)定火消(ジョウビケシ)(幕府方消防隊)四組を設ける。
「振袖火事(フリソデカジ)」,「丸山火事」とも呼ぶ。

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(1)出会貿易 | 詳しく調べる

意味16~17世紀に行われた日明貿易の一形態。
明が勘合貿易による朝貢貿易のみを認める鎖国政策をとり、倭寇(ワコウ)との関係から日本船の渡航を禁じていたため、双方の船が台湾やルソンなどの港市で出会って交易を行ったもの。

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(1)明倫舎 | 詳しく調べる

意味1782(天明 2)手島堵庵(テシマ・トアン)が京都に建設した、心学の講舎。
初 世舎主:手島堵庵。
第二世舎主:手島和庵(堵庵の長男)。
第三世舎主:1791(寛政 3)上河淇水(ウエカワ・キスイ)(堵庵の養子・分家)。

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(1)英仏通商条約 | 詳しく調べる

意味1786(天明 6)。
「イーデン条約(the Eden Treaty)」とも呼ぶ。

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(1)広南 | 詳しく調べる

(2)カンナム | 詳しく調べる

意味17~18世紀、ベトナム中央部を支配したグエン氏(阮氏)の前期王朝(1592~1777)。
首都はユエ(順化)。
黎朝(Le Dynasty)(1428~1789)の重臣の鄭氏(テイシ)と阮氏が権力を争い、阮氏が広南地方に移って広南王として独立化したもの。
北部ハノイの鄭氏と勢力を争う。
1771(明和 8)西山(タイソン)党の乱(西山阮氏)が起こる。
1777(安永 6)南下した鄭氏と和した西山党に滅ぼされる。
「カンナン(広南)」,「こうなん(広南)」とも呼ぶ。

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(1)東學 | 詳しく調べる

意味1860年、崔済愚(サイ・セイグ)(Choe Che-U)(1824~1864)がとなえた朝鮮の民間新興宗教。
崔済愚は慶尚道慶州の没落両班(ヤンバン)出身。
朝鮮政府は社会不安を醸すとして1864年崔済愚を処刑。崔時亨(チェ・シヒョン)(Choe Sihyong)が第2代教主となる。
1905(明治38)天道教と改称し、宗教活動に専念。学党の乱)

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(1)北ドイツ連邦 | 詳しく調べる

意味1867(慶応 3)プロイセンを盟主として結成された連邦国家。
1866(慶応 2)ドイツ統一をめぐって起きた普墺戦争(フオウセンソウ)の結果、ドイツ連邦が解体。
翌年、オーストリアと南ドイツ4邦を除くマイン川以北の22の領邦でドイツ関税同盟(Deutscher Zollverein)を主体に結成。
1870(明治 3)南ドイツ4邦が参加し、1871(明治 4)ドイツ帝国に発展して解消。

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(1)太政官札 | 詳しく調べる

意味1868(慶応 4. 5.)商法司が発行した不換紙幣。
商法司は1869(明治 2. 3.)廃止。

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(1)神祇官 | 詳しく調べる

意味1868(慶応 4.閏4.)古代官制にならって政体書(セイタイショ)により設置された七官(シチカン)の一つ。神社・祭祀(サイシ)行政をつかさどった中央官庁。
幕藩体制の支配機構の一環をなしていた仏教を排斥する方針をとった。神仏判然を令し、天皇を崇拝する神道国教化を画し、はげしい排仏毀釈(ハイブツキシャク)に発展した。1871(明治 4)寺請け制にかわる氏子調べを発布したが、実効がとぼしく2年余で廃止された。
新政府の基礎が確立されるにしたがい、祭政一致のイデオロギーが後退し、1871(明治 4)神祇省に格下げされ、1872(明治 5)神祇省が廃止、教部省が設置され事務の一部は式部寮にも移管。
さらに1877(明治10)内務省に合併された。

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(1)舎密局 | 詳しく調べる

意味1868(明治元)大阪に設けられた理化学研究教育機関。
第三高等学校(現:京都大学)の母体となった。

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(1)廃仏毀釈 | 詳しく調べる

(2)排仏棄釈 | 詳しく調べる

意味1868. 3.(慶応 4)(明治元年)神仏分離令が出されると、各地で仏像・仏具の破壊や経文を焼くなどの廃仏毀釈運動が起きた。

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(1)熊本洋学校 | 詳しく調べる

意味1869(明治 2)開設された藩校洋学所を基に、1871(明治 4)熊本城内に設立された藩校。
設立の目的は、きたるべき第二の維新に備え熊本藩が薩長にまじり中央に進出すべき人材を養成するものであった。
アメリカ留学から帰った横井大平(小楠の甥)の献策により、小楠の流れをくむ肥後実学党がアメリカ軍人ジェーンズ(L.L.Janes)を教師に迎えて開校、キリスト教主義の様式教育を施す。主として旧藩の子弟が就学。海老名弾正(エビナ・ダンジョウ)・小崎弘道(コザキ・ヒロミチ)・徳富蘇峰(トクトミ・ソホウ)らが学ぶ。
1876. 1.30(明治 9)キリスト教結社の熊本バンド(花岡山奉教盟約)の問題にからみ、同年閉鎖。奉教の学生の多くは京都の同志社(校長:新島襄)に移る。

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(1)東京為替会社 | 詳しく調べる

意味1869(明治 2. 6.)開業。

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(1)民部省札 | 詳しく調べる

意味1869(明治 2.10.)(一説に11月15日)から民部省通商司が発行した小額不換紙幣。二分・一分・二朱・一朱の四種があった。
1871(明治 4)より幣制統一が始まり、1879(明治12)交換回収。
「省札」とも呼ぶ。

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(1)外務卿 | 詳しく調べる

意味1869. 8.(明治 2. 7.)設置された外務省の長官。現在の外務大臣。
1885.12.(明治18)官制改革で廃止。

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(1)牡丹社事件 | 詳しく調べる

意味1871(明治 4)台湾南部に漂着した琉球(沖縄)の漁民多数が殺害された事件。
台風で宮古島の漁船が牡丹社(Mudan She)(現:牡丹郷)に漂着し、上陸した66人のうち54人が高砂族(先住民)に殺害され、残る12人は清朝側に救出されて琉球に帰還。
日本政府は清国に抗議したが、清国は「台湾は化外(ケガイ)の地」として無関係を主張。
1874(明治 7)西郷従道(ツグミチ)中将が台湾蛮地事務都督として3,600名を率いて台湾に出兵し、掃討作戦を行ったがマラリアなどで多数の病死者を出した。
清国は抗議したが、イギリス公使の斡旋(アッセン)で和議が成立し、日本は遺族への撫恤金(ブジュツキン)など50万両(テール)を獲得した。

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(1)宇都宮県 | 詳しく調べる

意味1871(明治 4)廃藩置県で設置された県名。
1873(明治 6)栃木県と合併。

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(1)パリ・コミューン | 詳しく調べる

意味1871(明治 4)普仏戦争の休戦後、パリに樹立された労働者・市民による革命的自治政府。世界最初のプロレタリア政権。
「パリ・コンミューン」とも、単に「コミューン」とも呼ぶ、ナル)(3)

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(1)身分解放令 | 詳しく調べる

意味1871(明治 4)「えた(穢多)」・「非人」の差別的な名称が廃止される。
しかし、1869(明治 2. 6.)農工商を平民と改称したことに遅れ、「壬申戸籍」の実施でも差別的に扱われ、「新平民」という言葉が生れた。

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