「ん」に関係する言葉
「ん」に関係する言葉の一覧を表示しています。 検索結果が多い場合は文字数で絞ることが可能です。31件目から60件目を表示 | < 前の30件 | | | 次の30件 > |
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意味 | (すらすらと読めるように)原稿などを前もって読んでおくこと。
読み間違えや読みよどむことがなくなる。 |
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意味 | (はっきり目覚めないで)意識がぼんやりして、夢か現実か区別し難いこと。また、そのおぼろげな状態。 |
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意味 | (イタリア語で)お母さん子・ママっ子・マザコン。甘ったれ・甘ちゃん。 |
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意味 | (イタリア語で)せん毛(譫妄)。 |
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意味 | (イタリア語で)女の赤ん坊・赤ちゃん。 |
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意味 | (イタリア語で)挨拶の言葉。
こんにちは(今日は)・こんばんは(今晩は)・さようなら。 |
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意味 | (イタリア語で)祖母・お祖母ちゃん。 |
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意味 | (クロアチア語で)祖母・お祖母ちゃん。 |
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意味 | (スパイや密売人などが)互いに会わずに秘密の物品を受け渡すこと。また、その受け渡し場所。
公衆トイレの貯水槽などがよく使われる。物を置いたときはトイレ前の草を結んだり小石を置いたりなどで情報を伝え、受け取ると草をほどいたり小石を除いたりする。 |
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意味 | (スペイン語で)こんにちは。 |
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意味 | (スペイン語で)妻・奥さん。女性の配偶者([英]spouse)。 |
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意味 | (ドイツ語で)せん毛(譫妄)。 |
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意味 | (ドイツ語で)父・お父さん。 |
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意味 | (フランス語で)おはよう。こんにちは。
朝から夕方までの挨拶(アイサツ)。 |
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意味 | (フランス語で)せん毛(譫妄)。 |
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意味 | (フランス語で)父・お父さん。 |
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意味 | (ポーランド語で)お祖母ちゃん。 |
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意味 | (ローマ説話)紀元前4世紀ころ、死刑を宣告された親友ピシアス(Pythias)のために、自ら進んで死刑に処せられようとした男。の交わり,刎頸の交り) |
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意味 | (上の文の内容をうけて)そのように。そんなふうに。 |
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意味 | (中国で)嫁入り先を決めること。
見合いや結納(ユイノウ)は茶を飲んで行われる。 |
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意味 | (中国・日本で)(1)を原料とした、細長い乾麺(干麺)。
熱湯につけて戻し、焼きそばのように野菜・肉と炒(イタ)めたり、あん掛けにしたり、スープの具にもする。 中国南部・台湾で多く食べられている。 |
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意味 | (中国人からの)日本人、特に日本兵に対する蔑称。
「日本鬼子(Riben guizi)(リーベングイツ)」とも呼ぶ。んころ(チャンコロ),ちょっぱり(チョッパリ)(2) |
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意味 | (中国語で)お姉さん。また、親類で自分より年上の女性。
「ジェイジェイ(姐姐)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (中国語で)こんばんは(今晩は)。 |
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意味 | (中国語で)可愛い人(darling)・赤ちゃん(baby)。 |
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意味 | (主に北海道・東北地方で)ばからしい・あほらしい・あほくさい。
「はんかくせぇ」と言うことが多い。 |
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意味 | (何らかの事情で)世間の目をさけながら、各地を移り歩いたり、隠れ住んだりすること。 |
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意味 | (北陸中部地方で)ミノ(蓑)の一種。
「まんどり」とも呼ぶ。 |
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意味 | (台湾で)陰暦七月の別称。
一日に地獄の鬼門が開かれので死者の霊(鬼)がこの世に戻ってきて、晦日(三十日)(ミソカ)に霊が帰って鬼門が閉じられるという。 祖先の霊だけではなく悪い霊も戻ってくるので、縁起の悪い月として結婚・旅行などは慎(ツツシ)まなければならない。 日本の盂蘭盆会(ウラボンエ)に相当する。蓋もあく),うらぼんえ(盂蘭盆会) |
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意味 | (子供用の)袖なし羽織(ハオリ)。
多く綿入れた防寒用。 「ちゃんちゃん」とも呼ぶ。れきいわい(還暦祝い,還暦祝) |
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意味 | (建物や記念碑にはめ込んだ)銘板。 |
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意味 | (想像上の)白い羽毛に似た生き物。
空から飛んできて、化粧箱に入れておくと白粉(オシロイ)を食べて成長するという。 |
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意味 | (手を着いて行う)前方または後方へのでんぐり返し。
「サマーサルト」とも呼ぶ。 |
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意味 | (挨拶)こんにちは。 |
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意味 | (昔話などに登場する)泥や土で作った船。
初めは水に浮いているが、しだいに溶け出して沈んでしまう。 「つちぶね(土船)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (朝鮮・韓国人が)日本人を指す隠語・蔑称。んやんぐい(トンヤングイ,東洋鬼) |
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意味 | (朝鮮語で)お嬢さん。 |
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意味 | (朝鮮語で)お母(カア)ちゃん。
お母さんは「オモニ(omoni)」。 |
言葉 | (1)アンニョンハシムニカ | 詳しく調べる |
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意味 | (朝鮮語による)出会いの挨拶語(こんにちは・ごきげんいかが)。
一日中、使用できる言葉で英語の「ハワユー(How are you?)」に相当する。 |
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意味 | (株)マンナンライフ(Mannan Life)社製の菓子。
フルーツ果汁で味付けした、ポーション容器(ミニカップ)入りのこんにゃくゼリー。 |
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意味 | (江戸時代から明治時代にかけて)歌舞伎(カブキ)役者・旅芸人・芝居(シバイ)関係者・芸能人などの蔑称(ベッショウ)。
江戸初期、歌舞伎が京都の四条河原で興行したことから、芝居小屋が河原を離れてからも卑(イヤ)しめて呼んだもの。 「河原乞食」とも呼ぶ。 |
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意味 | (海軍軍人の隠語)時と場所を選んで痛飲する酒豪。 |
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意味 | (特に)フランスの詩人シャルル・ペロー(Charles Perrault)(1628~1703)が1697(元禄10)民間伝承に取材した『童話集(Histoires ou contes du temps passe)』を著し、1729(享保14)ロンドンの出版業者ニューベリー(John Newbery)が英訳し、その副題(Contes de ma mere l’Oye<がちょう母さんのお話>)から”Mother Goose’s Melodies(がちょうおばさんの歌)”として出版したもの。
「ハンプティ・ダンプティ(Humpty Dumpty)」・「ジャックとジル(Jack and Jill)」・「ジョージィ・ポージィ(Georgie Porgie)」などを収める。 |
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意味 | (特に)不満を表す・無愛想にする。
「とんがらかる(尖らかる)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (特に)原子炉で核分裂反応が連鎖的・持続的に進行しはじめる境目。
核燃料などの放射性物質が一定量以上集まると、放射性崩壊によって放出される中性子などが周辺の放射性物質に当たって核分裂を促し、その核分裂反応の進行が連鎖的・持続的になった状態。 原子炉では減速材(制御棒)によってその状態の維持や反応の減少を制御している。かいまえかくじっけん(臨界前核実験) |
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意味 | (特に)地引網を引く者。
「あこ(網子)」,「あご(網子)」,「あんご(網子)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (特に)好きな男性と夫婦になれるなら、どんな貧しさもいとわないこと。
主に「手鍋下げても」の形で用いられる。 |
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意味 | (特に)良家・大店(オオダナ)・主家の若い息子。育ちのよい青年。若旦那(ワカダンナ)・ぼんち(坊ち)。
北陸地方でも使用する。 |
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意味 | (特に)誘導ミサイルなどが攻撃目標を探知して、自動的に追尾すること。
「追尾固定」とも呼ぶ。ペンサ),ほーみんぐ(ホーミング)(2) |
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意味 | (特に人の遺体から採取した)移植組織。せいたいべん(生体弁) |
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意味 | (特に浄土門で)阿弥陀如来(アミダ・ニョライ)を念じて浄土(ジョウド)に往生(オウジョウ)しようと願う人の臨終に、阿弥陀如来と諸菩薩が現れて極楽浄土に迎え導くこと。
「らいこう(来迎)」とも呼ぶ。ん(紫雲)(2),はっけん(発遣,撥遣)(2) |
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意味 | (田舎の)じいさん。 |
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意味 | (精神的に)宙ぶらりん・あやふやな状態。不安・気がかり。 |
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意味 | (英語で)(軽い謝罪)ごめん・すまん・どうも。 |
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意味 | (英語で)せん毛(譫妄)。 |
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意味 | (英語で)どっこいしょ。
主に赤ん坊を持ち上げるときに使われる。 |
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意味 | (西アフリカ原住民の)物神(ブッシン)。呪物(ジュブツ)・護符(ゴフ)・お守り・魔除け。ー教),まくんば(マクンバ) |
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意味 | (讃美したいものの場合)すばらしい、立派だ、たいへん嬉しい。 |
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意味 | (転じて)ある人や物事を忌み嫌って寄せつけないこと。
「七里けっぱい」,「七里けんばい」とも呼ぶ。 |
言葉 | (1)ハンプティーダンプティー | 詳しく調べる (2)ハンプティー・ダンプティー | 詳しく調べる |
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意味 | (転じて)ずんぐりむっくりの人。転ぶと起き上がれない人。
「ハンプティダンプティ」とも呼ぶ。 |
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意味 | (転じて)つっぱる・ふんばる・がんばる。 |
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意味 | (転じて)ふくらませるため中に入れる詰め物。
主に平仮名で「あんこ」と表記されることが多い。 「パディング([英]padding)」とも、洋服の場合は「パッド([英]pad)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (転じて)ものを言わず黙り込んでいること。 |
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意味 | (転じて)一度破れた男女の仲は二度と元通りにはならないということ。
「破鏡重ねて照らさず」とも呼ぶ。ぼんにかえらず(覆水盆に返らず,覆水不返盆)(2) |
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意味 | (転じて)中国の仲介商人。
商取引の仲介をし、売り手と買り手との価格や数量などを調停して商談をまとめる仲買業者。 秦・漢代では「ソウカイ(*)」、唐・宋代では「牙人」・「牙郎(yalang)」と呼んでいた。のち、同業者組合・店を意味する「牙行」でも呼ばれるようになったもの。 明・清代には特権商人として問屋的な業務も行った。(*)「(「馬」偏+「且」)(「人」偏+「會」)(zangkuai)」。「ソカイ」とも読む。 |
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意味 | (転じて)命がけで物事をすること、全力をつくしてがんばること。また、そのさま。
転化して「一生懸命(イッショウケンメイ)」とも、略して「懸命」とも呼ぶ。 |
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意味 | (転じて)大勢または多方面の人から、さんざんに非難されること。 |
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意味 | (転じて)寺の庵(イオリ)。
「あれんにゃ(阿練若)」,「れんにゃ(練若)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (転じて)時間を大切にすること。少しの間も惜しんで励(ハゲ)むこと。 |
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意味 | (転じて)死んだ者は再び生き返らないこと。 |
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意味 | (転じて)福の神の総称。
「うかじん(宇賀神)」,「うかのかみ(宇賀の神)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (転じて)若い女性に親切を装って家まで送り届けると言って近づき、途中で乱暴しようとたくらんでいる男。 |
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意味 | (転じて)見込む所・見込んだ所。図星(ズボシ)。
強調して「どつぼ(ドツボ,土壺)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (転じて)非常に心配している、または非常に悩み苦しんでいることの形容。 |
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意味 | (転じて)頭に血が逆上する小児の病気。かん(疳,癇)。
「ちりげ」とも呼ぶ。 |
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意味 | (酸素・空気を供給する)人工呼吸器・人工呼吸装置。
患者の肺に酸素または空気を人為的に送り込んで呼吸を補助する、または強制的に呼吸させる装置。 胸郭(キョウカク)に外から陰圧を加える鉄の肺型と、気道に陽圧を加えて肺を内からふくらませる方式とがある。 簡単な吸入器は「インハレーター(inhalator)」と呼ぶ。 |
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意味 | (長い髪をまとめる)輪ゴムを布でくるんだ飾りバンド。 |
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意味 | (関東地方で)その地方に珍しい種類の大木を樹種にかかわらず指す呼称。
「あんにゃもんにゃ」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1077年1月、神聖ローマ皇帝ハインリヒ四世(Heinrich IV)が、イタリア中北部レッジョ(Reggio)の南西にある小村のカノッサ城を訪れて、滞在中の教皇グレゴリウス七世(Grego-rius VII)に破門の解除を願った事件。
皇帝が教皇をを廃位しようとして、逆に教皇から破門されてしまったもの。国内の反皇帝派諸侯による廃位を恐れた皇帝は、カノッサ城外で3日間雪の中にただずんで赦免を乞(コ)い、ようやく許されたという。 実際には一旦諸侯に見捨てられた皇帝はライン諸都市の援助などを得て諸侯を鎮圧し、また教皇との対立を続けた。 |
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意味 | 10月ころに南天する星座。
「なんぎょざ(南魚座)」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1100年頃から530年代前半のスペインの征服まで持続した定刻を創設するために同胞に対する主導権を確立したペルーのクスコ・バレーに住んでいるケチュア族の小さなグループ |
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意味 | 1180(治承 4)富士川をはさんで行われた源平両軍の合戦。 |
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意味 | 11世紀オルドス地方にいたタングート(Tanguts)(党項)族の一氏族拓跋氏(Taba Shi)(タクバツシ)の建てた国(1038~1227)。
1038年、李元昊(Li Yuanhao)(リ・ゲンコウ)が帝を称して建国。首都は興慶(Xingqing)(コウケイ)。国号は大夏(Da Xia)と号したが、宋(Song)では西夏と呼ぶ。 1044年、宋と和議し西夏王に封ぜられる。 1124年以後は金(Jin)に服属し、1227年モンゴルに滅ぼされる。 東方の契丹人(Qidan Ren)(キッタンジン)の遼(Liao)(リョウ)と結んで宋朝(Song Chao)と対立し、東西交通路にあって経済的利益を占めた。 言語はチベット・ビルマ系に属し、固有の西夏文字を作成。 |
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意味 | 12世紀以後、史上に現れた西モンゴルの部族。
はじめチンギス汗に降ったが、元朝が衰えると外モンゴル西部や天山北路を領有し、東モンゴルのタタール(韃靼<ダッタン>)と争った。 15世紀初頭、トゴン(Toghon Tayisi)が出て漠北(バクホク)を統一。タタールとともに明の永楽帝(成祖)の北征を受ける(1407~1424)。15世紀の中頃、トゴンの子エセン・ハン(Esen Khan)(也先汗)のとき全盛を極め、明に侵入し1449年正統帝(英宗)を捕え(土木の変)、翌年明と講和し正統帝を送還。エセン・ハンは大可汗(ダイカカン)と号したが、内訌のため1454年部下に殺されて衰退、タタールの勢いが盛んになった。 清代のジュンガルはその後裔(コウエイ)で、乾隆帝(高宗)に征服される。 「瓦刺(ウエラ)」,「瓦刺(ワアラア)」,「衛拉特」,「斡亦喇(立心偏+「易」)(オイラート)」,「額魯」とも呼ぶ。木の変),だったん(韃靼) |
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意味 | 14世紀の約70年間(7代)、ローマ教皇庁がフランス国王支配下のアビニョンに移された事件。
シエナの聖女カタリナ(Catharina de Siena)の尽力により、1377(<南>天授 3,<北>永和 3)教皇グレゴリウス九世(Gregori-us IX)がローマに帰還。 「アヴィニョンの捕囚」,「アビニョンの幽囚」,「教皇のバビロンの捕囚」,「教皇のバビロン捕囚」とも呼ぶ。(カタリナ),きょうかいだいぶんれつ(教会大分裂) |
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意味 | 1545~1546(天文14~15)武蔵国河越で行われた後北条氏と上杉氏の合戦。
1537(天文 6)扇谷(オウギガヤツ)上杉朝定(トモサダ)は北条氏綱・氏康(ウジヤス)父子に本拠河越城を攻め落とされ、松山城に退く。1541(天文10)氏綱が没し、扇谷上杉朝政が攻めるが敗退。 勢力の回復をはかる朝定は山内上杉憲政(ノリマサ)(関東管領)・足利晴氏(ハルウジ)(古河公方)の援けを得て、1545(天文14.10.)福島(北条)綱成が守る3千の河越城を総勢8万余騎の大軍で包囲する。 翌年春、氏康が今川氏親と争っているのに乗じて朝定らは兵糧の尽きた落城寸前の川越城を攻める。氏康は8千騎を率いて援軍に駆けつけ、 4.20夜陰に乗じて襲撃し、城兵も降参を装って夜襲(河越の夜討)。 上杉・足利の連合軍は敗走し、混乱の中で朝定は戦死して、扇谷上杉は滅んだ。 |
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意味 | 15世紀末、インド北部のパンジャブ地方を中心に興隆した宗教。一神教。
ヒンズー教徒のナーナク(Nanak)(1469~1538)が、初代グル(guru)(師)となって創始。イスラム教の影響を受けてヒンズー教を改革して、偶像崇拝・カースト制度を否定し、唯一の創造神の熱狂的な崇拝を唱えた。 第5代グルのアルジュン・シン(Arjun Singh)(1563~1606)がムガール帝国の迫害を受けて死亡。以後、シーク教団の反イスラム色が強まってしだいに軍事的傾向を帯びる。 第10代グルのゴービンド・シン(Govind Singh)(1666~1708)は軍事的宗教団体カールサー(the Khalsa)を組織し、教団国家建設を求めてムガール帝国に対抗。 19世紀初頭、ランジート・シン(Ranjit Singh)(1780~1839)がパンジャブ地方のラホール(Lahore)を中心にカシミールをあわせてシーク王国(Sikh kingdom)を建設。彼の死後、イギリス支配に反抗して2度のシーク戦争(the Sikh Wars)を起こしたが敗れて、イギリスはパンジャブ地方を含め全インドの支配を確立。 インド独立にも貢献(アムリツァル事件)し、1947(昭和22)インド・パキスタン分離独立の際にはインド帰属を選んだ。 その後、自治権やシーク独立州(Sikh state)(カーリスターン 「シク教」とも呼ぶ。ムリツァル事件),[2]がんじー(ガンジー),かびーる(カビール) |
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意味 | 16~17世紀、ヨーロッパで流行した男子用半ズボン。
腿(モモ)までの長さで、詰め物で大きくふくらませていた。カボッカーズ),ちょうちんぶるまー(ちょうちんブルマー,提灯ブルマー) |
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意味 | 1789(寛政元)以降のフランス革命期、外国に亡命した貴族や王党員などの人々。
主にドイツのコブレンツ(Koblenz)市を拠点に、諸外国の反革命派と結んで反革命運動を行った。 1814(文化11)王政復古とともに多くは帰国したが、革命で没収された土地が返還されず、反動勢力の中核となった。 |
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意味 | 17~18世紀、ベトナム中央部を支配したグエン氏(阮氏)の前期王朝(1592~1777)。
首都はユエ(順化)。 黎朝(Le Dynasty)(1428~1789)の重臣の鄭氏(テイシ)と阮氏が権力を争い、阮氏が広南地方に移って広南王として独立化したもの。 北部ハノイの鄭氏と勢力を争う。 1771(明和 8)西山(タイソン)党の乱(西山阮氏)が起こる。 1777(安永 6)南下した鄭氏と和した西山党に滅ぼされる。 「カンナン(広南)」,「こうなん(広南)」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1834(天保 5)横山丸三(マルミツ)が、天海(テンカイ)の天源術(テンゲンジュツ)を基に創始した開運の教義。
人は受胎した年月日のそれぞれの干支(三輪)や人相・骨相などに応じて各自宿命を負っているが、修行によって生来の気質(悪癖)を矯正することにより、心身・気血の運行がよくなり、宿命を打破して開運・幸福に至らしめるという。 単に「淘宮」とも、「淘道」とも呼ぶ。いしんはちじ(生辰八字) |
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意味 | 1862(文久 2. 1.15)老中筆頭安藤信正が江戸城坂下門外で水戸藩・宇都宮藩などの浪士7人により襲撃された事件。
井伊直弼の後をうけた信正が公武合体論を推進して和宮(カズノミヤ)降嫁を実現させたことが原因。さらに廃帝の企てもあると噂(ウワサ)されていた。 ピストルも使用されたが信正は軽傷であった。 信正はやがて辞職し、以後、公武合体運動に代わり尊皇攘夷運動が盛んとなる。 「坂下門の変」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1864(元治元. 7.)長州藩が京都に出兵し、京都守護職の松平容保(カタモリ)が率いる会津・薩摩・桑名藩などの佐幕勢力と蛤御門付近で戦って敗れた事件。
前年の1863(文久 3. 8.18)「八月十八日の政変」で京都を追われた長州藩は、藩主毛利敬親(タカチカラ)・広定父子の名誉回復・七卿の帰洛・藩士の入京を嘆願していた。しかし、1864(元治元. 6. 5)会津・桑名藩兵・新撰組に京都池田屋で尊攘派が襲われる(池田屋事件)。この報らせで長州藩は急進派が藩論を制し、形勢挽回を図って3家老が藩兵1,600名を率いて上京。 久坂玄瑞(クサカ・ゲンズイ)は山崎に、福原元們(フクハラ・モトタケ)は伏見に陣取り、朝廷に書面を以て願い出た。さらに長州から五卿が出発、来島又兵衛(キシマ・マタベエ)は蛤御門に向かい、ここに至り一橋慶喜(ヨシノブ)(のち将軍)に朝命が下り討たれる。久坂・来島は戦死、福原は負傷して帰国、五卿も途中から引き返した。 7.23幕府は朝廷に長州征伐を請(コ)い奉(タテマツ)り、認可されて、第一次長州征伐となる。 七卿とは三条実美(サネトミ)・三条西季知(サンジョウニシ・スエトモ)・東久世通禧(ヒカシクセ・ミチトミ)・壬生基修(ミブ・モトナガ)・四条孝謌(シジョウ・タカウタ)・錦小路頼徳(ニシキコウジ・ヨリノリ)(のち病死)・沢宣嘉(ノブヨシ)(のち他藩に走る)。 大政奉還とともに1867(慶応 3.10.)五卿・毛利父子は官位を復され、入京も許される。 「禁門の変」,「元治甲子の変」とも呼ぶ。変),いけだやじけん(池田屋事件) |
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意味 | 1871(明治 4)「えた(穢多)」・「非人(ヒニン)」の差別的な名称が廃止され、平民籍に編入した後も、なおこれらを差別して呼んだ俗称。 |
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