「宋」に関係する言葉

「宋」に関係する言葉の一覧を表示しています。 検索結果が多い場合は文字数で絞ることが可能です。
1件目から30件目を表示次の30件 >
言葉

(1)正法眼蔵 | 詳しく調べる

意味([中]Zhengfa Yanzang)中国宋代の大慧宗杲(Dahui Zonggao)(ダイエ・シュウコウ)の法話を侍者沖密慧然(Chongmi Huiran)が集録した公案集(6巻)。1147年成立。

言葉

(1)墨守 | 詳しく調べる

意味(『戦国策(Zhanguoce)』斉<セイ>)中国の戦国時代、墨子(Mozi)(ボクシ)が宋(Song)(ソウ)に仕官していたとき、楚(Chu)(ソ)からよく城を守った故事。
魯(Lu)(ロ)の公輸盤(Gongshu Pan)(コウシュ・バン)が発明した新兵器の雲梯(yunti)(ウンテイ)を用いて楚が攻めてくるのを、墨子は机上(キジョウ)で9回模擬戦を行い、いづれも撃退に成功したという。
「墨テキの守(マモ)り」とも呼ぶ。

言葉

(1)牙行 | 詳しく調べる

意味(転じて)中国の仲介商人。
商取引の仲介をし、売り手と買り手との価格や数量などを調停して商談をまとめる仲買業者。
秦・漢代では「ソウカイ(*)」、唐・宋代では「牙人」・「牙郎(yalang)」と呼んでいた。のち、同業者組合・店を意味する「牙行」でも呼ばれるようになったもの。
明・清代には特権商人として問屋的な業務も行った。(*)「(「馬」偏+「且」)(「人」偏+「會」)(zangkuai)」。「ソカイ」とも読む。

言葉

(1)西夏 | 詳しく調べる

意味11世紀オルドス地方にいたタングート(Tanguts)(党項)族の一氏族拓跋氏(Taba Shi)(タクバツシ)の建てた国(1038~1227)。
1038年、李元昊(Li Yuanhao)(リ・ゲンコウ)が帝を称して建国。首都は興慶(Xingqing)(コウケイ)。国号は大夏(Da Xia)と号したが、宋(Song)では西夏と呼ぶ。
1044年、宋と和議し西夏王に封ぜられる。
1124年以後は金(Jin)に服属し、1227年モンゴルに滅ぼされる。
東方の契丹人(Qidan Ren)(キッタンジン)の遼(Liao)(リョウ)と結んで宋朝(Song Chao)と対立し、東西交通路にあって経済的利益を占めた。
言語はチベット・ビルマ系に属し、固有の西夏文字を作成。

言葉

(1)保甲法 | 詳しく調べる

意味中国、北宋(Bei Song)の王安石(Wang Anshi)(オウ・アンセキ)の新法の一つ。

言葉

(1)呂本中 | 詳しく調べる

意味中国、北宋の儒者(学者)(1077/1084~1138)。初名は大中(Dazhong)、字(アザナ)は居仁(Juren)。安徽(Anhui)寿州(Shou-zhou)の人。
詩を江西詩派の黄庭堅(Huang Tingjian)(コウ・テイケン)らに学ぶ。
著書は『春秋解』・『童蒙訓』・『東莱詩集』など。
尊称は「大東莱(Da Donglai)(ダイトウライ)」,「東莱先生(Xian-sheng)」。

言葉

(1)元豐通寶 | 詳しく調べる

意味中国、北宋の元豊年間(1078~1085)に鋳造された方孔の銅銭。真書・篆書の2書体がある。
日本・朝鮮・ベトナム・ミャンマーなどでも流通した。
日宋貿易により日本にも他の宋銭とともに大量に移入され、平安末期から戦国末期まで採用された。模造も盛んに行われ、実際には江戸初期まで流通していた。
また、明朝末期には騒乱で中国内での鋳銭が不足し、日本で鋳造された元豊通宝などが逆輸出された。

言葉

(1)元豐 | 詳しく調べる

意味中国、北宋の年号。
1078<大康 4>(承暦 2)~1085<大安元>(応徳 2)。

言葉

(1)祖沖之 | 詳しく調べる

意味中国、南北朝時代の数学者・天文学者( 429~ 500)。范陽(Fanyang)の人。
南朝宋の太史令(天文台長)で、 462<大明 6>『大明暦(Damin Li)』を作成し、孝武帝(Xiaowu Di)に献上。
数学書『綴術(Zhuishu)(セツジュツ)』を著し、円周率の近似分数の約率(22÷7)と密率(355÷113)を得る。また、近似値を3.1415926と3.1415927の間とした。
羅針盤の一種「指南車」・千里船なども製作。
その他の著作は『九章術義注』など、

言葉

(1)文天祥 | 詳しく調べる

意味中国、南宋(Nan Song)末期の忠臣(1236~1282)。字(アザナ)は宋瑞(Songrui)(ソウズイ)・履善(Lushan)(リゼン)、号は文山(Wenshan)、諡(オクリナ)は忠烈(Zhonglie)(チュウレツ)。吉州(Jizhou)(現:吉安市)の人。
捕われて元への仕官を進められたが拒絶し刑死。
中国の民族的英雄の一人。

言葉

(1)秦檜 | 詳しく調べる

意味中国、南宋の政治家(1090~1155)。字(アザナ)は会之(Hui-zhi)。江寧(Jiangning)(現:江蘇省南京市)の人。
南宋の御史中丞となる。
1127<靖康 2>金軍が北宋の首都開封(Keifeng)を陥落させた際(靖康の変)、徽宗(Huizong)・欽宗(Qinzong)らとともに金国(満洲)に連行され、1130年に金の黙認で帰国。
南宋の高宗(Gaozong)に礼部尚書として仕え、金国通として1131年に宰相となる。
膨大な軍事費を投入すると政情不安を招くとして平和論を唱えて主戦論者を抑(オサ)え、1142<紹興12>金と和議を結び、講和に反対する将軍岳飛(Yue Fei)(ガク・ヒ)らを反逆罪として獄死させる。

言葉

(1)陳亮 | 詳しく調べる

意味中国、南宋初期の学者(1143~1194)。字(アザナ)は同甫(Tongfu)(ドウホ)、号は竜川(龍川)(リョウセン)。浙江省(Zhejiang Sheng)(セッコウショウ)永康(Yongkang)の人。
朱子(Zhuzi)の友人。
著書は『竜川文集』など。
「ちんりょうせん(陳竜川,陳龍川)」とも呼ぶ。

言葉

(1)安南都護府 | 詳しく調べる

意味中国、唐代の周辺諸民族を統治した六都護府の一つ。
現在のベトナム北部・中部と南海諸国を統治した出先機関。
所在地は交州(Jiaozhou)の宋平(現在のハノイ)。
 622<武徳 5>[推古30]交州大総管府を設置。
 679<儀鳳 4>[天武 8]安南都護府となる。
 760<上元元>(天平宝字 4)阿倍仲麻呂(アベノナカマロ)、2年間都護府の長官となる。
 860<咸通元>(貞観 2)南詔が占領。
 883<咸通 3>(元慶 7)南詔が2度目の占領。
 907<天佑 4>(延喜 7)唐の滅亡で消滅。
その他、ジャワのマライ人(崑崙闍婆)や、チャム族のチャンパ(林邑<リンユウ>,占城<センジョウ>)もたびたび侵入。

言葉

(1)白雲宗 | 詳しく調べる

意味中国、宋代に興った華厳宗の一派。
大観年間(1107~1110)に孔清覚(Kong Qingjue)(コウ・セイカク)(1043~1121)が浙江(Zhejiang)(セッコウ)杭州(Hangzhou)の白雲庵で開宗。
元代に一大新興教団と発展し、宗田を有して税の徴収など国家的性格を帯びたため、1323(至治 3)弾圧を受ける。
明代に禁止されて消滅。

言葉

(1)荘子 | 詳しく調べる

意味中国、戦国時代の思想家。名は周(Zhou)(シュウ)、字(アザナ)は子休(Zixiu)、唐の玄宗からの追号は南華真人(Nanhua Zhenren)(ナンカシンジン)。南華老仙(Laoxian)とも呼ばれる。宋(ソウ)国の蒙(モウ)(現在の河南省)の人。孟子(Mengzi)(BC. 372~BC. 289)と同時代というが生没年は不祥。
漆園(シツエン)の吏となり、恵施(Hui Shi)(ケイ・シ)と交わり論敵かつ友人。
老子(Laozi)の無為自然(ムイシゼン)の思想を発展させた。理想郷は形あるものの無い世界、無何有之郷(ムカユウノキョウ)とする。
また、儒家(ジュカ)と対立。
老子とともに道家(ドウカ)の代表者として「老荘(Lao-Zhuang)」と並称される。
著書は『荘子』。
「荘周(Zhuang Zhou,[英]Chuang-Chou)」,「漆園(Qiyuan)」とも呼ぶ。

言葉

(1)章炳麟 | 詳しく調べる

意味中国、清末・民国初期の革命家・政治家(1869~1936)。字(アザナ)は枚叔(Meishu)(バイシュク)、号は太炎(Taiyan)。
康有為(Kang Youwei)に賛同して変法自強運動に参加。
西太后(Xi Taihou)らの守旧派による戊戌政変で日本に亡命。
民族革命を主張し、蔡元培(Cai Yuanpei)らと革命団体光復会(Guangfu Hui)を結成。
孫文(Sun Wen)の興中会(Xingzhong Hui)、黄興(Huang Xing)の華興会(Huaxing Hui)と合同で中国同盟会(Zhongguo Tong-meng Hui)を組織し、一時同会の機関紙「民報(Minbao)」の主筆をつとめる。
1910(明治43)孫文と決裂して光復会を再結成。
中華民国成立後は袁世凱(Yuan Shikai)政権の顧問。
1913(大正 2)宋教仁(Song Jiaoren)(ソウ・キョウジン)暗殺事件の後、袁世凱の帝政運動に反対し軟禁される。

言葉

(1)廈門 | 詳しく調べる

(2)アモイ | 詳しく調べる

意味中国、福建省(Fujian Sheng)南東部の港湾商工都市。福州市(Fuzhou Shi)(フクシュウシ)と並ぶ大商港の一つ。
台湾海峡にある小島の厦門島の南西岸に位置し、対岸に鼓浪嶼(Gulangyu)(コロンス)がある。
宋・元代からの外国貿易港で、明初期から厦門と呼ばれた。
一時、鄭成功(Zheng Chenggong)(テイ・セイコウ)が金門島(Jinmen Dao)とともに領有して清朝への反抗の拠点とした。
1842年、南京条約で開港し、上海・香港・台湾・南洋などを結ぶ中継貿易地として発展。
経済特別区を設置。

姉妹サイト紹介
言葉

(1)魚鱗図冊 | 詳しく調べる

意味中国で課税の基礎にするため作成された一種の土地台帳。
南宋の時はじめて「魚鱗図」と呼び一部の地域で作成された。
明の太祖(洪武帝)により整備され1381<洪武14>「魚鱗図冊」と称し、各地の番号・位置・境界・種類・所有者負担税などが記載されていた。
清代にも受け継がれ「魚鱗冊」と称した。

言葉

(1)倭の五王 | 詳しく調べる

意味中国の『宋書(ソウジョ)』・『梁書』などに見える、南朝の宋に朝貢した5世紀の倭国王、讃(サン)・珍(チン)(弥<ミ>)・済(セイ)・興(コウ)・武(ブ)の五人の王。
王の名は天皇の名を中国風に表記したもので、讃は応神か仁徳か履中、珍(弥)は仁徳か反正、済は允恭、興は安康、武は雄略の各天皇に比定される。
 413~ 502年に13回にわたって遣使朝貢している。倭王が何度も朝貢したのは、南朝の文物を輸入するだけではなく、南朝の権威を借りて高句麗の南下を牽制し、朝鮮半島南部の大和政権の権益を維持する目的もあった。しかし、南朝は倭国の国際的地位を百済や高句麗よりも低く評価しており、また南朝の対高句麗政策も倭国の意図とは異なっていたので、所期の目的を達成できずに遣使を打ち切っている。

言葉

(1)浙江財閥 | 詳しく調べる

意味中国の上海(シャンハイ)を中心に活躍していた金融業の一団の呼称。
主として浙江出身の実業家で、浙江人の資金を基礎としていた。
国民政府成立後、政府と連絡してその財政面の施策を援助したため、強大となり全国の金融・産業を支配するにいたった。宋子文(Song Ziwen)(シブン)・孔祥煕(Kong xiangxi)(コウ・ショウキ)らがその中心であったが、人民政府成立後はほとんど没落した。うしぶん(宋子文)

言葉

(1)宋朝 | 詳しく調べる

意味中国の五代十国を統一した王朝( 960~1279)。
趙匡胤(Zhao Kuangyin)(チョウ・キョウイン)(太祖)が建国。〈北宋(Bei Song)〉
 960~1127。〈南宋(Nan Song)〉
1127~1279。

言葉

(1)王安石 | 詳しく調べる

意味中国の北宋(Bei Song)中期の政治家・文人(1021~1086)。字(アザナ)は介甫(Jiefu)(カイホ)、号は半山(Banshan)。江西の人。
1042年、21歳で科挙に合格し状元進士。地方官を歴任して地方政治の経験を積み、仁宗(Ren Zong)に『万言書』をおくり政治の乱れを指摘した。
革新政治家で年少気鋭の神宗(Shen Zong)(シンソウ)に登用され、宰相となり富国強兵策、いわゆる「王安石の新法」を断行した。また学校を建てて人材を養成し、科挙の方法を変えて社会の実用に合わせようとした。
しかし、特権維持をのぞむ司馬光(Shima Guang)ら一派の旧法党の痛烈な反対を受け厳しい悪評を浴びて僅(ワズ)か5ヶ年で辞任した。
博学能文・経綸に富んだ文章家として唐宋八大家(ハチダイカ)の一人でもある。

言葉

(1)二王 | 詳しく調べる

意味中国の周代、夏(カ)・殷(イン)の子孫である杞(キ)・宋(ソウ)のこと。

言葉

(1)飛錢 | 詳しく調べる

意味中国の唐・宋時代に行われた、手形による送金制度。
茶・塩・絹などの遠距離取引の隆盛や、租庸調に代えて銭納を原則とする両税法の施行など貨幣経済の発達を背景により、大量の銅銭輸送に替えて生じたもの。
中央官庁、節度使が都に設置した進奏院(Jinzouyuan)、都会の商人などが為替手形を発行・経営した。
その手形を唐代には「拠(據)(ju)(キョ)」,「文牒(wendie)(ブンチョウ)」、宋代には「交子(jiaozi)(コウシ)」,「会子(huizi)(カイシ)」と呼ばれた。
「便銭(bianqian)(ベンセン)」,「便換(bianhuan)(ベンカン)」,「換銭(huanqian)(カンセン)」とも呼ぶ。

言葉

(1)初唐 | 詳しく調べる

意味中国の唐代を文学史の上から四分した、その第一期。
唐初から玄宗(ゲンソウ)即位の前年までの 618~ 711<武徳元~景雲 2>。
絶句(ゼック)・律詩(リッシ)・排律(ハイリツ)などの近代詩の確立を見るが、その一方でまだ四六駢儷体(ベンレイタイ)などの六朝風(リクチョウフウ)の延長線上にある時期。
魏徴(Wei Zheng)(ギ・チョウ)・王勃(Wang Bo)(オウ・ボツ)・張九齢(Zhang Jiuling)(チョウ・キュウレイ)・楊炯(Yang Jiong)(ヨウ・ケイ)・盧照鄰(Lu Zhaolin)(ロ・ショウリン)・駱賓王(Luo Binwang)(ラク・ヒンノウ)・沈セン期(Chen Quanqi)(シン・センキ)・劉希夷(Liu Xiyi)(リュウ・キイ)・陳子昂(Chen Zi’ang)(チン・スゴウ)・杜審言(Du Shenyan)(ト・シンゲン)・宋之問(Song Zhiwen)(ソウ・シモン)らが活躍。

言葉

(1)玉篇 | 詳しく調べる

意味中国の字書。30巻。
梁(Liang)(リョウ)の顧野王(Gu Yewang)(コ・ヤオウ)( 519~ 581)が編集して 543<大同 9>完成。
1万6,917字を542部に分類し、解説は詳しく、諸書の注解も加える。
原本は失われ、日本に写本の一部が現存。
唐代に増補本が作られる。
宋代に陳彭年(Chen Pengnian)(チン・ホウネン)らが改訂した『大広益会玉篇』が作られる。
「ごくへん(玉篇)」とも呼ぶ。

言葉

(1)生女真 | 詳しく調べる

意味中国の宋代、宋に朝貢しない、または契丹・高麗に朝貢する女真族(Nuzhen Zu)に対する、宋からの呼称。

姉妹サイト紹介
言葉

(1)会子 | 詳しく調べる

意味中国の宋代の送金為替。

言葉

(1)宋美齢 | 詳しく調べる

意味中国の政治家・宋嘉樹(Jiashu)の娘・宋三姉妹の末妹(1901. 3. 5~2003.10.23)。中華民国の財政部長を務める財閥孔祥煕(Kong Xiangxi)(コウ・ショウキ)の妻靄齢(Ailing)(アイレイ)・中国革命の父孫文(Sun Wen)(ソン・ブン)の妻宋慶齢(Qingling)(ケイレイ)・中国の財政家宋子文(Ziwen)(シブン)の妹。上海(シャンハイ)生れ。
1908(明治41)アメリカに留学。
1917(大正 6)ウェスリアン女子大学(Wesleyan College for Women)を卒業。
1927(昭和 2)蒋介石(Jiang JieShi)(ショウ・カイセキ)の後妻となってから、立法委員・婦女協会新生活運動理事長・国民党中央執行委員など国民政府の要職を歴任。
1936.12.(昭和11)西安事件では自ら西安に飛び蒋の救出に努める。
第二次世界大戦後は対米外交に活躍し、再三渡米して対華援助を要請。
航空事業を独占支配。
1975(昭和50)ニューヨーク郊外に移住。ん(宋子文)

言葉

(1)明銭 | 詳しく調べる

意味中国の明王朝が鋳造した渡来銭。洪武通宝・永楽通宝・宣徳通宝などがあった。
室町時代は官銭が鋳造されず、日明貿易を通じて大量に輸入され、宋銭・元銭とともに流通した。
それでも経済の発展による需要の増大から、品質の粗悪な鐚銭(ビタセン)と呼ぶ私鋳銭(シチュウセン)が作られた。その結果、通用に際して雑多な貨幣の中から良銭を選び取る撰銭(エリゼニ)が行われて貨幣流通の妨げとなった。
江戸幕府は1636(寛永13)寛永通宝を発行し、明銭などの渡来銭の使用を禁止して銭貨の統一をはかった。んえいつうほう(寛永通宝)

言葉

(1)東晋 | 詳しく調べる

意味中国の西晋(Xi Jin)が滅亡した翌年の 317年、皇族司馬睿(Sima Rui)(元帝)が建康(Jiankang)(南京)に再建した国。
 420年、東晋の将軍劉裕(Liu Yu)(宋の武帝)により滅亡。

言葉

(1)大足石刻 | 詳しく調べる

意味中国の重慶市(Chongqing Shi)(ジュウケイシ)西部、大足区(Dazu Qu)にある仏教・儒教・道教の石刻。
唐~宋時代に造られ、北山摩崖造像と宝頂寺摩崖造像がある。

言葉

(1)鹿邑太清宮 | 詳しく調べる

意味中国中部、河南省(Henan Sheng)(カナンショウ)商丘(Shangqiu)(ショウキュウ)の南約50キロメートル、鹿邑県(Luyi Xian)にある太清宮の遺跡。
唐宋代の大型祭祀遺跡。西約500メートルからは殷(イン)末期~周(シュウ)初期の大型墓も発掘。
殷の紂王(Zhou Wang)(チュウオウ)の兄微子(Weizi)(ビシ)の墓と目される長子口墓(Zhangzikou mu)(チョウシコウボ)がある。

言葉

(1)水滸伝 | 詳しく調べる

(2)水滸傳 | 詳しく調べる

意味中国元末清初の白話(ハクワ)(口語)小説。
著者は施耐庵(Shi Nai’an)(シ・タイアン)または羅貫中(Lio Guan-zhong)(ラ・カンチュウ)といわれ明確ではない。
北宋末に宋江(Song Jiang)(ソウ・コウ)を首領とする108人の豪傑が、山東省梁山(Liangshan)(リョウザン)のふもと鉅野沢(Juyeze)(キョヤタク)にある伝説上のトリデ梁山泊(Liangshanpo)(リョウザンパク)を拠点に天下を横行・活躍する武勇物語。

言葉

(1)司馬光 | 詳しく調べる

意味中国北宋(Bei Song)(ホクソウ)の政治家・学者(1019~1086)。字(アザナ)は君実(Junshi)(クンジツ)。陝州(Shanzhou)夏県(Xia Xian)(三水+(「悚」-立心偏))水郷(Sushui Xiang)(ソクスイキョウ)、現在の山西省(Shangxi Sheng)運城市(Yuncheng Shi)(夏県)司馬営村(Shimaying Cun)の人。
20歳で進士となり、仁宗(Ren Zong)・英宗(Ying Zong)の時に言論に剛直な諌官として知られた。
神宗(Shen Zong)(シンソウ)の初年、王安石(Wang Anshi)(オウ・アンセキ)の新法に反対して退官し、通史『資治通鑑(Zizhi Tongjian)(シジツガン)』に専念。
哲宗(Zhe Zong)(テッソウ)の時に宰相に迎えられ、新法を廃し旧法に復したが、まもなく病死。
「ソク水先生(Sushui Xiansheng)」とも、死後に文正(Wen-zheng)の諡(オクリナ)を贈られ、また温国公に封ぜられて「太師温国公(Taishi Wenguogong)(オンコクコウ)」,「温公(Wengong)(オンコウ)」,「司馬温公」とも呼ばれる。

言葉

(1)温公の甕割り | 詳しく調べる

意味中国北宋(Bei Song)(ホクソウ)の政治家司馬光(Shima Guang)(シバ・コウ)(温公)の故事。
温公の子供時代、大切にしていた甕に友達が落ちたので、「器は人命より軽し」と言って自らその甕を割って助けたこと。

言葉

(1)蘇頌 | 詳しく調べる

意味中国北宋の天文学者(1020~1101)。

言葉

(1)畢昇 | 詳しく調べる

意味中国北宋の活字印刷術発明者。
慶暦年間(1041~1048)膠泥(コウデイ)(モルタル)製の印材に文字を刻み、焼いて活字(宋朝活字)を作る。鉄枠のある鉄板にその活字を並べ、松脂(マツヤニ)などで固めて版を作り、印刷を行う。
東洋の四大発明の一つであるが、木版より不便なため普及しなかった。

言葉

(1)麦積山石窟 | 詳しく調べる

意味中国北西部、甘粛省(Gansu Sheng)(カンシュクショウ)天水市(Tianshui Shi)(テンスイシ)の、麦積山の渓谷の東崖と西崖にある194ヶ所の石窟寺院群。
北魏(ホクギ)末期の 502年から北周・隋代にかけて大小の石窟が営造され、唐代に栄え、のち宋・元・明・清代にも造営・補修が行われている。
礫岩の石窟や仏龕(ブツガン)には塑像・壁画がある。

言葉

(1)オルドス | 詳しく調べる

(2)鄂爾多斯 | 詳しく調べる

意味中国北部、内モンゴル自治区(Neimenggu Zizhiqu)南西部の高原地域。
黄河(Huang He)が湾曲した南岸で、南方は万里の長城で限られている。
古くは河南(Henan)と呼ばれた遊牧の適地で、北方遊牧民族と漢族が抗争。
秦~漢代に匈奴(キョウド)がしばしば侵入。
五胡十六国時代には夏(大夏)が建国。
宋代には西夏が建国。
明代末期にモンゴル族のオルドス部が占拠してからオルドスと呼ばれる。
清代に伊克昭盟(Yikeshao Meng)(イクジョー盟)が置かれ、1649(慶安 2)<順治 6>鄂爾多斯左翼前・中・後旗と鄂爾多斯右翼前・中・後旗の6旗に分割。
旧称は綏遠省(Suiyuan Sheng)(スイエンショウ)「河套(Hetao)(カトウ)」。

言葉

(1)磁州窯 | 詳しく調べる

意味中国北部、河北省(Hebei Sheng)南端の邯鄲市(Handan Shi)(カンタンシ)が管轄する南端の磁県(Ci Xian)(古:磁州)を中心とする陶窯。また、そこで焼かれた陶器。
隋代から青磁などを産し、唐代に慈州(Ci Zhou)彭城鎮(Peng-cheng Zhen)(ホウジョウチン)(現:峰峰砿区彭城)で良質の陶磁器を産出し、宋代に慈州を音が同じ磁州と改称。
宋・元代に最盛期を迎え、明・清代を経て現代に至る。

言葉

(1)高宗 | 詳しく調べる

意味中国南宋の初代皇帝(1107~1187)。在位:1127~1162。
姓名は趙構(Zhao Gou)(チョウ・コウ)、字(アザナ)は徳基(Deji)。徽宗(キソウ)(Hui Zong)の第9子、欽宗(Qin Zong)(キンソウ)の弟。
徽宗・欽宗が金(Jin)軍に捕えられた(靖康<セイコウ>の変)ため、南方に走って即位。
1138年杭州(Hangzhou)に都して臨安府(Lin’an Fu)と名づける。
宰相に秦檜(Qin Gui)(シン・カイ)を用い、1141年に宋帝は「臣」と称する屈辱の和議を金と結ぶ。
江南を開発し経済発展を推進し、南宋の基礎を築く。

言葉

(1)忠烈 | 詳しく調べる

意味中国南宋の忠臣、文天祥(Wen TianXiang)の諡(オクリナ)。

言葉

(1)黄竜山 | 詳しく調べる

(2)黄龍山 | 詳しく調べる

意味中国南東部、江西省(Jiangxi Sheng)(コウセイショウ)九江市(Jiu-jiang Shi)(キュウコウシ)修水県(Xiushui Xian)(シュウスイケン)西方にある禅寺。
唐代に誨機(Huiji)が開く。
宋代に黄竜慧南(Huinan)(エナン)(1002~1069)が黄竜宗を開き、道場として栄える。

言葉

(1)臨安 | 詳しく調べる

意味中国南東部、浙江省(Zhejiang Sheng)(セッコウショウ)の省都杭州(Hangzhou)の古称。
南宋(Nan Song)( 960~1279)を建国した高宗(Gaozong)時代の首都名。
仮の都という意味で、「行在(Xingzai)(コウザイ,アンザイ)」とも呼んだ。

言葉

(1)性理学 | 詳しく調べる

意味中国宋(ソウ)・明(ミン)代に程子・朱子などが唱えた儒学の一派。
「朱子学」,「程朱の学」,「理学」,「宋学」とも呼ぶ。

言葉

(1)南宋 | 詳しく調べる

意味中国宋代( 960~1279)の後半期の呼称(1127~1279)。
1127<靖康 2>金が侵入した靖康(セイコウ)の変で、江南に逃れた高宗が即位し、臨安(Lin’an)(現:杭州)に都して建国。
1279<祥興 2>元に滅ぼされる。〈歴代皇帝〉
第1代:高宗(Gaozong):1127~1162。
第2代:孝宗(Xiaozong):1162~1189。
第3代:光宗(Guangzong):1189~1194。
第4代:寧宗(Ningzong):1194~1224。
第5代:理宗(Lizong):1224~1264。
第6代:度宗(Duzong):1264~1274。
第7代:恭宗(Gongzong):1274~1276。
第8代:端宗(Duanzong):1276~1278。
第9代:帝(「日」冠+「丙」)(テイヘイ)(Di Bing):1278~1279。

1件目から30件目を表示次の30件 >
[戻る]